第2回関東ミニOB会

2011年1月12日

 

会の模様(photo)


 1月12日(水)、愛媛県・香川県の味を楽しめる新橋の「香川・愛媛せとうち旬彩館・かおりひめ」で、2007年(平成19年)11月8日以来の第2回関東ミニOB会を開催した。
 関東ミニOB会は、仙波組(昭和51年卒)東京在住メンバーを核とし、お世話になっている先輩や後輩に声をおかけして懐かしい話で盛り上がろうという趣旨。平成19年11月8日に第1回をやって以来だが、一代後輩「濱田組」のキャプテンが昨年4月以来国土交通省に勤めていることを知り、第2回を思い立った次第。
 48年卒の上田さん、50年卒の西原さん、51年卒の忽那君、玉井君、久米、52年卒の緒方君という第1回関東ミニOB会に参加したメンバーに加え、緒方君の声かけによる60年卒神井君(農林水産省勤務)と平成19年卒武智君(東京大学4年生)、そして52年卒濱田君が新たに参加。
 場所の郷土・瀬戸内料理「かおりひめ」は、愛媛・香川の味をリーゾナブルな値段で提供してくれます。今回の料理は、瀬戸内の刺身、じゃこてん、アナゴ焼き、てんぷら、鳥唐揚、そして讃岐うどん、オリーブの入ったシャーベットなどで、飲み放題つきでひとり5千円。お奨めですよ。

会場: 香川・愛媛せとうち旬彩館 「郷土・せとうち料理かおりひめ」
住所: 〒105-0004 東京都港区新橋2-19-10 新橋マリンビル2F
電話: 03-5537-2684
ホームページ: http://r.gnavi.co.jp/g136909/

 今回のOB会では、神井君、武智君といろいろ話すことが出来、東大ラグビー部の関東大学対抗戦グループ公式戦で慶応に勝つという歴史的瞬間に、そして現在の東大ラグビー部の活躍に松山東高校ラグビー部OBが密接に関わっていることを知った。
 本報告では、両君の了解を得て、このことを中心に報告させていただきます。

 神井君とは、今回初対面。役人らしくない気さくさ、明るさ、ひょうきんさ、気配りが素晴らしい。写真なども幹事に替わって撮ってもらいました。彼から東大ラグビー部のことをいろいろ聞いた。駒場キャンパスでのラグビーの練習に熱心で、本郷キャンパスの法学部の授業に出たことがなかったという、練習に明け暮れるラグビー漬けの日々を4年間続けたんだそうだ。本人は謙遜しながらも「当時は、関東大学対抗戦グループで、早稲田、明治などの大学トップチームと毎年、公式戦で試合が出来たんですよ。早明には、歯が立ちませんでしたが、東大は、点差が開いても、真面目にタックル、ラックを繰り返し、愚直に走るのがチームカラーでした。」、「幸い、1年からロックとしてレギュラーで試合に出させてもらっていたので、1987年の慶応からの勝利のその場にも2年生のロックとして喜びを味わうことができました。ロースコアの試合で、タックルとしつこい防御、泥くさい東大らしい守りの勝利でした。」とのこと。
 実は、久米がいた九州大学ラグビー部は、毎年、東京大学と春に定期戦を行っており、私がいた昭和51年(1976年)から昭和54年(1979年)までの4年間でも、2回東大駒場グラウンドで試合をさせていただいた。その時の記憶は、タックルや粘り強い防御に加え、ゴール前ラインアウトで見事なモールを組まれ、そのままドライビングモールで押し込まれてトライされるなど、洗練された攻撃力を持っていて、さすが対抗戦グループでもまれるチームは違う、とレベルの差を実感したことを思い出す。当時、九州では、あのようなドライビングモールでねちねち押し込んでくる戦法をとってくるチームは無く、いいようになすすべなくゴールを割られてしまった。慶応に勝った時代、攻撃面でも輝いていたに違いない。
 もうひとつ、痛烈に思い出すのは、駒場グランドの土だ。4年間で、2年のときと4年のときの2回、東大駒場グラウンドで雨模様のときに試合をしたが、試合後、真っ黒になった白いラグビーパンツを洗おうとしても、どうしても白くならなくて困った。武蔵野関東ローム層の火山灰の土だからしょうがない、東大と試合した名誉のラグビーパンツだ、と思い直して、黒く煮しめたような買ったばかりのパンツをうらめしくはいていたことを思い出す。毎日この黒い土のグラウンドで練習する東大のラグビー部の部員は洗濯が大変だろうな、とずっと思ってきたが、最近、人工芝になったと聞いた。
 
 また、武智君とは、昨年5月の秩父宮での東大・九大の定期戦観戦の際に会って以来だった。その試合を観戦していてもよくわかったが、東大ラグビー部現役はフォワードのドライビングモールを攻撃の柱にしていて、九大戦でも全体2トライのすべてをフォワードのモールであげている。このフォワードのリーダーが全体の副主将でもある武智君で、九大戦でも東大フォワードの中で人一倍がっしりした彼が核となってフォワードが強力に機能していた。
しかし、東大・九大定期戦後、怪我によるドクターストップを余儀なくされてしまったそうだ。彼の心中の悔しさ、無念さはいかばかりだったろうか。

 彼は、1年からロックとしてレギュラーをはり続けた4年間のラグビー中心の大学生生活に区切りをつけ、あと一年、大学に残って、地域文化研究を行いながら、来春の企業入社を目指すとのこと。今回のミニOB会では、原子力研究機構の上田さん、大原学園の西原さん、サントリーの忽那君、三越の玉井君などから企業最前線の様子をいろいろと聞いていた。就職戦線は大変と聞くけれど、いろいろなOBの話を聞きながら将来の道を選んでほしい。


 話の中で、武智君のお父さんが、濱田君の同級生だったことがわかり、濱田君は唖然。そうか、武智君はわれわれの年代の子供たちの年代なのだと思い知らされました。

 東大の全盛期(1987年対抗戦慶応に勝つなど5勝、1986年から1989まで対抗戦グループ通算17勝、2000年対抗戦1部で日体大・青学大に勝利し2勝など)に、松山東高校ラグビー部OBの神井君が東大のロックを担って活躍していたこと、そして東大ラグビー部現役を束ねる副主将をOBの武智君が担って活躍してくれていることをうれしく、誇らしく思う次第です。神井君も武智君同様4年の時は、副主将、ロックでフォワードリーダーだったそうです。(注: 東大ラグビー部ホームページの現体制のところに武智君が、歴史コーナーに神井君在籍時の慶応に勝った試合の写真などが
出てきます。)

 最後に、濱田君は、東京商船大学を卒業して第一中央汽船に入社。すっと世界をまたにかけて船上勤務を続け、船会社でもキャプテンに登りつめた。その後、船会社で培ったノウハウ、経験を活かし、海難審判庁に転職。現在は、国土交通省で海難事故の原因究明を担っている。玉井君や忽那君は、高校卒業以来の再会だったが、高校時代のぽっちゃりしたお坊ちゃん的な顔つきが見事に精悍なたくましい容貌に変身し、同一人物とは判らなかったとのこと。今も、愛媛に帰った折には、愛媛の「思惑(しわく)」クラブで、ボールを追いかけているんだそうだ。一方、彼の年賀状には、必ず、かわいらしい繊細なイラストとコメントが彼の手書きで描かれている。精悍な容貌、容姿と繊細なイラスト、この両面を併せ持つことが彼の魅力でもある。「強いだけでは男じゃない、優しくなければ男じゃない。」こんな言葉があったかと思うが、そんな魅力を持つ「マミ君」である。

 一次会後、忽那君、玉井君、濱田君の3名は所要で参加できなかったが、残る6名で場所を赤坂に移し、ワインレストラン「シエロ」で二次会を楽しんだ。ここ「シエロ」のオーナーの吉澤さん(旧姓池内さん)は、松山東高卒。本人は、卒業年次を言いたがらないのでここでは伏せるが、集まったメンバー誰かの同級生。平成19年卒、昭和60年卒、昭和52年卒、昭和51年卒、昭和50年、昭和48年卒のいずれかである。東高では、放送部にいて、昼休みの時間は殆ど放送室にいて、素敵な声を各教室に届けていたとのこと。東高では「マドンナ」と呼ばれていたそうだ。その後JALの国際線スチュワーデスとして世界を飛び回り、その際にワインの美味に魅せられてソムエリの道に。JAL時代に培ったおもてなしの心とワインのノウハウとストックで華麗に赤坂に転進し、お店を開くことに。素敵なお店です。料理もワインに合わせ、予算に合わせて出してくれます。紀美恵オーナーのもとで働くもう一人のソムリエ、仮屋さんも若くて綺麗で楽しくてとっても素敵ですよ。
 是非、上京の機会には、赤坂の東高マドンナのお店に顔を出してあげてください。

ワインレストラン 「シエロ」 (CIELO)
住所: 〒107-0052 港区赤坂3−12−10 4F
電話: 03−3589−1002
オーナー: 吉澤
ホームページ: http://www.vinocielo.com/

 忽那君は、第1回OB会の折にホームページで報告したように、サントリー草創期のスタンドオフ、フルバックを担い、そして神井君、武智君は、東大ラグビー部が慶応に勝つという歴史的な時代を支え、東大ラグビー部現役を支えていた。あらためて、東高ラグビー部の多彩な力を実感したOB会でした。
 関東ミニOB会は、フレキシブルな同窓会です。参加したいという方、是非、ご連絡ください。
 本年も宜しくお願いします。