潟OB会

 

新潟で、「がんばっていきまっしょい」の敷村良子さんにお会いしました!

 

文責: 久米秀俊(昭和51年卒)

2010年4月15日 新潟の高級串焼き店にて

写真左:敷村 良子 さん

松山がなつかしい〜!!

写真中:久米 秀俊 

(本レポートの執筆者)

写真右:越智 敏夫 さん

敷村のダンナです。東高では文芸部でした。野間君の声を久しぶりに聞けて懐かしい〜!!

 

 

昨年7月より新潟県新潟市で国土交通省北陸信越運輸局に勤務しています。東高といえば「がんばっていきまっしょい」、「がんばっていきまっしょい」といえば敷村良子さんです。不思議な縁で、その敷村さんに新潟でお会いする機会にめぐまれたので、その様子をレポートします。

 

新潟市経済界の皆さんの新年会に参加した折り、ある地元マスコミの方から、「松山ご出身だったら、敷村さん知ってます? 敷村さん新潟にいるんですよ!」と話しかけていただいた。あの「がんばっていきまっしょい」の敷村さんが新潟に?、とびっくり。これも何かの縁、いつか連絡を取らせていただこうと思っていて、ようやく先日、意を決してその方に、連絡先を紹介していただきたい旨のメールを出した。


すぐに敷村良子さんご自身から、「よくぞ連絡してくださいました。」との言葉で始まるメールをもらい、その後、たたみかけるようにお電話をいただいた。「ダンナも昭和55年卒業の同級生です。美味しい串焼きのお店にダンナと今から繰り出すので、ぜひ、久米さんもいらしてください!」とのうれしいお誘い。とってもフランクで、わたしが期待した、思っていたとおりの方だった。


古町の「かんこ鳥」といういつもお客一杯の高級串焼き店で2時間、その後、古町のなじみのスナック「伊吹」で日付が替わるまで、愛媛のこと、高校のこと、そして新潟のことなどを話し、あっという間に4時間が過ぎた。


敷村さんのダンナの越智敏夫さんは、現在、新潟国際情報大学で政治学を研究、講義され、新聞の論壇にたびたび登場する方であるが、この夜は松山東高生時代にかえって往時を熱く語っていただいた。運動会の背景画(パネル絵)を描いていたとき、絵具が乾くまでの間トランプをしていて、ラグビー部コーチで体育の先生だった渡部正治先生に大きな手で「指導」していただいたことなど・・・。


その4時間の間に、野間君、松崎君、そして敷村さんのお友達だった当時バスケット部の方にも電話し、松山弁丸出しの話で盛り上がった。ちなみに、越智・敷村邸では、会話はすべて松山弁だそうだ。

高校の同窓というのは、共通の先生、友達がいて格別なものだと、敷村さん、ダンナ、私の3人で互いにうなづきあい、同じく新潟にいる平成2年東高卒の水口幸司君(国土交通省北陸地方整備局新潟港湾空港技術調査事務所長)を加えて、あらためて東高同窓会を開くことを約束して古町をあとにした。


その際のお話しや、相前後して敷村さんからいただいたメールの中に、多くの東高ラグビー部メンバーの話が出てきました。これは皆さんにお伝えしないとと思い、敷村さんにご相談したところ、東高ラグビー部ホームページならば、ということで特別に了解をいただきました。以下いくつか紹介します。平岡さん、野間さんの了解は得ていませんが、ラグビー部の先輩、後輩のよしみ、ご了解ください。ごめんなさい。

 

近く新潟で同窓会を開きますので、新潟に東高卒業生がいるぞ、近く行くぞ、などの情報があれば、久米までご連絡ください。仕事や旅行で新潟に来られる際には、声をかけてください。「がんばっていきまっしょい」で敷村さんと一緒に盛り上がれますよ!

 

平岡君:
『ラグビー部の私たちの世代は、野間くんのほか、野本くん、そして平岡くん。私、平岡君と一年のとき同じクラスでした。「がんばっていきまっしょい」の映画化かドラマ化のとき、平岡君が教員として東高におられて、懐かしく再会しました。生徒に「お前ら勉強せいよ」などと仰っていたのが、ちょっとおかしかったです。平岡君は高校時代、口数が少なく、大人しい人でしたけど、ちゃんと普通に喋る人になっていて・・。』


野間君:
『今、夫が勤めから帰っ てきて、一緒にラグビー部の博多のOB会の写真の野間君をみて「おお〜」。しばし感激しました。私は、野間君の姿を見たのは、卒業以来初めてですが、顔は昔のままで兄弟に会ったような懐かしい気持ちになりました。少し貫禄が出たでしょうか、お互いに。野間君とは、雄新中学時代から一緒で、塾も一緒でした。 野間君は中学時代から部活をしながら成績はトップだったので、私は尊敬していました。総務委員会で野間君が委員長、私が副をやったこともあったような?夫 が、修学旅行の写真を持ってきました。野間君と同じ班だったそうです。ふたりとも、高校時代はスリムでしたね〜。』


松崎さん:
『75年誌を松崎さんから贈って頂き、なつかしい人たちのことがたくさん載っていて、楽しく読みました。ホームページでホットな東高の話題を知ることを楽しみにしていますので、これからも頑張ってください。』

 

 

管理人蛇足:

今回のやりとりの中で,3年生の中川君のお母さんが,敷村さんの従妹と判明。中川君の入学時に敷村さんはボート部への入部を勧められたそうですが,ラグビー部へ。世の中狭いものです。松崎