関東ミニOB会

2007年11月8日(木)

 

 

春に福岡から東京に異動になったS51久米さんからレポートが届きました。

 

 去る10月20日(土)に松山東高昭和51年3月卒業のメンバーの関東地区同窓会があり、懐かしい面々がそろった。

 その際、ラグビー部では、久しぶりに忽那浩三君(当時の愛称:忽那ブー)に会い、懐かしい話、サントリーラグビー部の話などで盛り上がったが、忽那君は、大学卒業後、サントリーに入社し、名門サントリーのスタンドオフ(早稲田の本城が入るまで)、フルバックのレギューラを張ったすごい男。高校時代は、自他共に認める練習嫌いで、まさかこんなにビッグになるとは・・・・。

 同窓会で話しているうちに、50年卒西原さん、52年卒緒方君のことに話が及び、高校卒業後、会っていない先輩、後輩に是非会いたいということになり、50年仙波組で関東にいることがわかっている玉井君を加えて、ミニOB会をやろうということになった次第。

 

 幹事は、一番若い緒方君が引き受けてくれて、すばらしくゴージャスな銀座ど真ん中の会員制ソーシャルクラブを、リーズナブルな値段で見つけてくれた。

 みなの都合があった11月8日(木)、ミニOB会挙行。玉井君は、午後8時までの三越恵比寿店のジェネラルマネジャーとしての業務を終えてから駆けつけてくれた。また、48年卒の上田先輩も、ご多忙の中、後輩のために今日の集いに加わっていただいた。

 結局、48年卒上田さん、50年卒西原さん、51年卒忽那、玉井、久米、52年卒緒方の計6名でのラグビー部関東ミニ懇親会となった次第。

 

 今回は、自他共に認める練習嫌いからサントリーのレギュラーを射止めるまでの飾らない話に、皆、聴き入った。みな、知らないと思うから、今回の報告では、忽那ブー君のことを紹介する。

 彼は、一浪して入学した関西学院大学でも東高のような上下間の厳しいしきたりのないアットホームな雰囲気のラグビー部に入部そして卒業。たまたま関西学院大学のラグビー部監督が、昭和55年に創部してどんどん強くしたいサントリーラグビー部の山本巌監督と懇意だった関係で、4年の夏合宿のあとのサントリーのセレクションに参加。そして、サントリーへの就職、ラグビー部への入部が決まったそうだ。

 始めは、社会人リーグの二部からスタートして、2年目には一部昇格。彼は、サントリーのスタンドオフとして、一部昇格に貢献。同年代入社には、名スクラムハーフ小西、フランカーの横本などがいたという。高校時代の姿からはまったく想像がつかないが、彼曰く、一生懸命練習したそうだ。しかし、数年後に、早稲田の本城、吉野が入部。スタンドオフのポジションは、本城に譲ることになった。その後、一年は二軍に甘んじた。

 

 しかし、東高の時同様に、全体を見れるセンスがあったのだろう。高校時代、決して足は速くなく、練習も大嫌いだったが、試合になると相手の穴をとっさに見つけてパス、キックを巧みに操るセンスが見事だった。快速ウィング平田を活かし、相手のいないところにキックをけった。全力を出すところ、力をセーブするところがわかっていたという。周りから見るとさぼっているようにしか思えなくても・・・。

 人一倍長けたこうしたセンスが実を結んだのか、二軍生活一年を経た後に、スター勢ぞろいのサントリーでフルバックにカムバック。本人曰く、足が遅いフルバックなので、吉野、本城、大貫のスピードについていけず、ライン参加はなかなか出来なかったそうだが・・・・。本人は、監督が山本巌さんという愛媛出身の人で、たまたま引きあげてくれただけと謙虚に語るが、一旦、レギュラーをおろされたあとに、カムバックするのは並大抵では出来ないはずだ。無類の練習嫌いのままでは這い上がれなかったはず。内に秘めたものがあったし、練習嫌いを返上して努力したに違いない。しかし、彼は、高校時代と変わらない気取らない彼流だった。「現役時代もタバコをすぱすぱ飲んだし、お酒もしこたま飲んだし。レギュラーにカムバックできたのはたまたま運がよかっただけ。」とのこと。

 

 計6年間のサントリーラグビー部を卒業して、今は、サントリー営業部の部長さん。サントリーのお酒をお店においてもらうために、仕事の付き合いで飲むことも多いそうだが、間違いなく彼の性に合っている。昔ながらの目がなくなるような屈託のない笑顔で、高校時代の丸刈りさせられた事件、学校泊り込みの運動会のことなどなど、なつかしい話の花が咲いた。いまは、運動会のやぐらを業者が組む、という話に、そんなことだからひ弱になる、などと皆で憤慨しつつ夜の更けるまでサントリービール、ウィスキーのグラスを傾けた。(管理人注釈:業者が組むのは他の学校のことをさされているのではないかと思います)

 

 あらためて思ったのは、上下間の厳しいしきたりのあるチームでは、忽那君は花を咲かせることはなかっただろう。サントリーラグビー部の草創期だったから、酒もたばこも自由で、彼の才能が開花した。今は、サントリーラグビー部は酒もたばこも駄目なんだそうな。東高ラグビー部が、忽那君の才能を開かせ、彼がサントリーラグビー部草創期の礎づくりを担ったことを同期の一人としてうれしく誇らしく思う次第です。

 

 また、玉井君には、高校卒業以来の再会。「マッド玉井」は、イギリス勤務を経て今は「ソフィスティケート玉井」に変身し、現在は恵比寿三越店を任されている。写真の緒方君とのツーショットは、かつての昭和50年の四国B優勝、新人戦優勝のときのロック陣、32年ぶりの再会だった。

 そして西原さん。忽那君とのツーショットの写真は、どう見ても組幹部のひそひそ話しのようにしか見えませんが、上下の隔てないアットホームな東高ラグビー部の先輩として気はやさしく力持ちの頼りになる先輩だった。その存在感、親近感は今もまったく変わらない。西原さんは、東校全体の同窓会の幹事役も務めておられます。

 上田さん、ありがとうございました。なくなった伝説の中川さんを直接に知る先輩、花園が夢でなかった時代の先輩、また、話を聞かせてください。

 緒方君、幹事ありがとう。

 

 今回の報告は、松山東校ラグビー部OBが強豪サントリー草創期の礎作りの一翼を担っていたことを皆さんにお伝えしたくて、忽那くんのことを詳しく書きました。

 アットホームな東校ラグビー部は、多士済々に人を育てます。もし、忽那くんが東校ラグビー部をやめていたら、サントリーの礎づくりの一翼を担い、現在のサントリーの営業を支えることはなかったし・・・・。わたしも、同じ釜の飯を食ったメンバーと懐かしい話に時間を忘れることもできなかったし・・・。

 現役のみなさん! がんばって、東校ラグビー部を卒業してください。

 

 久米 秀俊

 

日時: 11月8日(木)19:00〜
場所: 中央区銀座7-9-4銀座たあぶる館B1     BRB CLUB HOUSE
当日参加メンバー:

 昭和48年卒 上田 先輩 (独立行政法人原子力安全基盤機構)

 昭和50年卒 西原 先輩 (学校法人大原学園)

 昭和51年卒 忽那 君  (サントリー株式会社) 

 昭和51年卒 玉井 君  (株式会社三越)

 昭和51年卒 久米      (財団法人運輸政策研究機構・運輸政策研究所)

 昭和52年卒 緒方 君  (税理士法人あい会計社)

左から,緒方,玉井,上田,忽那,西原,久米 左:緒方,右:玉井 30数年前のロック陣
忽那 サントリーラグビー部草創期のSO・FB 左:忽那 右:西原 組幹部のひそひそ話?